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25.「日仏通商航海条約改定後の顛末」

鈴 木  勝

 安達峰一郎が、日仏通商条約改定のために、渡仏したのは明治41年12月である。この年は国内において、条約改正の進捗見直し期であった。その中でも最も困難を極めた日仏関係は、日本、フランス両国ともに、優れた国際法学者を用意して交渉に臨んだ。日本側は勿論、フランス人よりフランス語がうまい安達である。安達は、フランスの高名な法律学者ボアソナードの愛弟子であり、以前、ポーツマス講和条約会議で通訳を勤め、条約文を起草した人物である。彼は、その功績により明示40年に博士号を贈られた程であった。彼の名声はヨーロッパ各地に聞こえ始めていた。将に彼は、最適任者であった。パリに到着した安達は、早速、粟野公使と条約改定の検討に入った。この条約改定が成功裏に終了したのを受けて、粟野公使から、安達の功績を述べた極秘扱いの上申書が外務大臣に送られた。翌年12月、安達は高等官一等に叙せられた。、

 
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安達峰一郎博士顕彰会                
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