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24.「皇太子教育掛り 葉山御用邸に出張」

鈴 木  勝

 安達峰一郎が、外務大臣・林董の命により葉山の御用邸出張の辞令を受けたのは明治40年8月であった。当時、元老側と東宮大夫に皇太子の教育問題で確執がみられた。そのため元老院は「現実に生きた学問が必要」として、皇太子教育の改革に奔走し人選に入った。林外務大臣や元老・西園寺たちが、皇太子のフランス語教授として安達を最適任者として推挙したこともあり、安達が選ばれたのであった。大正10年、皇太子のヨーロッパ外遊が6ケ月を費やして執り行われた。お召し艦「香取」が随艦「鹿島」を伴っての大掛かりな航海で、皇室始まって以来の出来事であった。これは、当時の為政者が国家外交戦略の一環として、皇室の役割分担を考えて行ったものと考えられる。そのために皇室改革派の伊藤博文や原敬らは、暴漢に襲われたが、彼らの意図は今日もなお引き継がれており、「皇室外交」として結実している。

 
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安達峰一郎博士顕彰会                
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