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19.「日露講和会議に関係する出来事」

鈴 木  勝

 明治38年8月「日露講和会議条約締結」の結果は、関係者の苦労に反し国民の反応は冷やかだった。調印式が行われる日の前夜、旧友・小川平吉が麹町平河町の峰一郎宅を秘かに訪ねて「明日、日比谷で抗議集会がある。騒ぎが収まるまで避難した方がよい」と子供に土産持参で、危険を伝えに訪れた。小川の予告通り、翌9月5午後、抗議集会で暴徒化した民衆が「日比谷交番焼打ち事件」を引き起こした。後に分かった事であるが、小川はこの抗議集会の首謀者の1人であった。日露講和会議の最終段階での生々しい全権団の心境について、米国から父久宛に書簡を送り、それを久が安達家の過去帳に書き写したものが最近発見されている。10月16日、小村寿太郎以下全権団一行を乗せた船が横浜港に到着した。出発とは違い、歓迎の小旗もない寂しい帰国であった。一行の帰国に際し、当局が厳重な警備体制を敷き暴漢者に対応したためである。


 
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安達峰一郎博士顕彰会                
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